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インコテックの歴史
 インコテックの歴史は、種子の加工技術という新しい研究分野における、様々な発見と共に歩んでまいりました。播種精度の改善、発芽中の種子の保護、また、種子処理により作物の生育を向上させる技術等、その研究は多岐に渡ります。
30年以上も前に、オランダの種子会社、ロイヤルスルースの研究者であったダビッド・ディルクスによって種子コートの研究が開始され、これが後にインコテックが創設される端緒となりました。

 1968年にディルクスらの研究チームは、コート種子(Split Pill Lettuce)を、続いて直播を目的としたSplitkoteを開発しました。これらの製品はレタスの栽培に革命的な影響を与え、後には休眠打破処理が加わり、生産者に一層の利益をもたらしました。
一方、アメリカの大手種子会社アズグローもコート技術の研究を開始しており、1949年にはFillcoteを発表しました。その後、研究を中断しましたが、1960年代に再開され、1970年までにアズグローの重要な生産分野のひとつとなりました。自社種子のコート加工だけでなく、60%は受注により種子加工を行っておりました。
 当初、ロイヤルスルースの技術提供はヨーロッパの市場に限られていましたが、1978年、カリフォルニアのサリナスにロイヤルスルースの生産施設が開設されてから、北米の農業生産者の方々に対しても技術を提供できるようになりました。 1989年、ロイヤルスルースの種子加工部門が整理統合により分離され、インコテック(INCOTEC-INtegrated COating and Seed TECnology) が誕生することになりました。
 1996年、アズグロー、ペトシード、ロイヤルスルースそしてインコテックの合併でセミニスが創設された後、ここれら種苗会社の種子加工部門はすべてインコテックの名の下に統合されました。その後さらに国際的な展開を続け、1997年には日本に、1999年にはブラジルに新たに生産施設を設けました。イタリー、スペイン、イスラエル、オーストラリアにある営業所を含め、インコテックは強力な国際的チームを組織するに至りました。
 そして2002年、インコテックはセミニスより独立いたしました。この独立により、これまで以上により良い種子加工技術サービスができるようになりました。
現在、インコテックは、各種の野菜や花、タバコ、その他の農作物種子に対する製品を供給しています。当社の研究者は顧客と密接な関係を保ち、種子会社、苗生産業者、農業生産者の変動するニーズに対応した製品を速やかに開発する体制を整えております。
 インコテックは研究開発、品質の向上、サービスの改善に、日々弛みない努力を続けております。